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テニスコートを疾走する上地结衣选手の上半身

「この日々が楽しいから、続けてこられた」 2020年、世界の頂点を目指す上地结衣选手の挑戦。

競技用車いすでラケットを抱える上地结衣选手と2020年の彼女の挑戦を示すテキスト

东京2020パラリンピックで、活跃が期待される选手の一人、女子车いすテニスプレーヤーの上地结衣さん。2012年、ロンドン2012パラリンピックに初出场し、ベスト8入赏。2014年の全豪オープンダブルスではグランドスラムを达成し初优胜、そして同年5月には世界ランキング1位に辉いています。リオ2016パラリンピックでは女子车いすテニスで日本人初の铜メダルを获得という快挙を达成しましたが、3位决定戦では悔し涙を见せ、东京では金メダルを、と语りました。いよいよ、东京2020パラリンピック开幕まであと300日。彼女は、今、大会を见据えて何を思うのでしょうか&#虫蹿蹿1蹿; ツアーで世界中を転戦する忙しい毎日を送る上地选手を、スポーツライターの细江克弥さんが访ね、その思いを闻きました。

文&#虫蹿蹿1诲;细江克弥

写真&#虫蹿蹿1诲;村上悦子

涙を流したリオデジャネイロ大会から、3年

2016年9月、上地结衣は地球の反対侧にいた。

ブラジルの首都リオデジャネイロ。自身2度目のパラリンピック。车いすテニス?シングルス準决胜のコートに立った彼女は、2时间46分に及ぶフルセットの激闘の末、オランダのアニク?ファンクートに败れた。

その直后、マイクを向けられた上地は、溢れ出そうになる涙を必死にこらえていた。

「小さい顷から『かわいそう』とか『大変そう』と思われてしまうことが多くて、やっぱりそれが悔しくて、ずっと涙は见せないようにしてきたんです。応援してくれる人がいるんだから、しっかりしなきゃダメだって。パラリンピックは準决胜で负けても3位决定戦があるので、気持ちをどう整理すればいいのかわかりませんでした。でも、とにかく『ここで泣いたらダメ』という気持ちだけで话していました」

ラケットを持ち話をする上地结衣选手

女子车いすテニス
上地结衣选手

あれから3年──。「TOKYO 2020」の開催まで、いよいよ1年を切った。日本人選手1号としてすでにパラリンピックの出場権を手にしている上地は、リオデジャネイロで流したあの涙を笑顔で振り返った。

「あの大会で手にした铜メダルは、正直に言えば决してうれしいものではありませんでした。その気持ちは、今も変わりません。だけど、その悔しさを理由にして『次こそ』とは思わないんです。东京2020パラリンピックでは、あの时の自分ができなかった“思いどおりのプレー”をしたいし、その结果として金メダルを取りたい。その2つがそろって、初めて大きな意味があるのかなと思います。心から『やりきった』と思えるプレーがしたいですね」

天性の负けず嫌い。がむしゃらに练习した中学时代

先天性の潜在性二分脊椎症という病気を抱える上地が车いすテニスと出会ったのは、今から15年前、10歳の顷だった。

学生时代にバスケットボールをやっていた両亲の影响で、上地の“スポーツ歴”は车いすバスケットボールからスタートしている。しかし4歳年上の姉が中学入学と同时に软式テニス部に入ると、天性の负けず嫌いに火がついた。

「姉がやることは、スポーツに限らず何でも真似したがる子でした。他の习い事にもついていっていたので、ごく自然な流れでテニスに兴味を持つようになりました」

同じ车いすスポーツとして、ハードな対人コンタクトがあるバスケットボールからコンタクトのないテニスに移行する竞技者は実はとても多いという。だから上地もスムーズな流れでテニスへとたどり着いたのだが、理由は姉の存在だけではなかった。

「私は身体が小さいので、バスケでは一绪にプレーしていた大人の皆さんが“特别ルール”を作ってくれました。たとえば、『结衣ちゃんのシュートはリンクに当たったらゴール』とか。今にして思えば皆さんのご厚意でしかなかったのですが、ひねくれていた私は『そういうのはイヤだ』と思ってしまって&#虫蹿蹿08;笑&#虫蹿蹿09;。子どもの顷からみんなと同じルールで、自分に足りない部分は工夫して补いたいと思う子だったので、何かを“してもらう”ことが悔しかったんです。テニスなら、自分さえボールを返すことができれば、相手が男性でも、大人でもちゃんとプレーできますよね。だから楽しかったんだと思います」

テニスボールを打つ上地结衣选手

所属したクラブには、车いすテニスを丁寧に教えてくれる先辈がたくさんいた。「一番よく练习した」と振り返る中学时代は、学校が终わると18时から21时までボールを打ち続け、週末はどこへでも足を运び、朝?昼?夜の3部练习に励んだ。练习场所があると闻けば、新干线に飞び乗ってまで向かうこともめずらしくなかった。

「纳得いくまでやらなきゃ気が済まないタイプなんです。テニスに対しては特にその気持ちが强かったので、练习はできる限りやりました」

努力は结果となって表れる。14歳になった上地は、史上最年少で日本ランキング1位に辉いた。

ロンドン2012パラリンピックの时、実は裁判所事务官になりたかった!?

アスリートとしての本格的なスイッチを入れるきっかけとなったのは、初めて出场したロンドン2012パラリンピックだった。ただ、それは自らが头の中で思い描いていたストーリーとは大きく异なっていた。

「実は、ロンドン大会に出场できるとは思っていませんでした。パラリンピックに出たいと思い始めたのが2011年で、その时点では、コーチと一绪に『2014年のリオデジャネイロ大会を目指そう』という目标を立てていたんです」

ところがツアーを転戦するうちに世界ランキングが上昇し、「もしかしたら」という期待は见事に実现した。ただ、テニスの道をさらに突き进もうと考えたのは“ロンドン后”のことで、出発する直前までは「テニスはこの大会で最后」という思いが强かったという。

「パラリンピックに出场することが大きな目标だったので、それが実现したことで『テニスはここまで』と思っていました。ロンドンに出発するまでは『次は何をしようかな&#虫蹿蹿1蹿;』と考えていたのですが、むしろ、テニスのことは头の中にほとんどなかったんですよ」

笑顔の上地结衣选手のクローズアップ

世界を転戦する中で触れてきた外国语を学ぶことに兴味があり、外国语大学に进学することを真剣に考えた。それと同时に裁判所事务官という职业に憧れを持ち、公务员试験を受けるための愿书を実际に书いた。「やってみたい」と感じることは、他にもたくさんあった。

「テニスと両立することはできないと思っていました。どんなことでも、やるなら一本に绞りたかった。ロンドン2012パラリンピックはシングルスもダブルスもベスト8で负けてしまったんですけれど、たぶん、それが大きかったんだと思います。悔しかったし、もう少し続けてみたいと思いました。もし优胜していたら、あのタイミングでテニスをやめていたかもしれません」

テニスの道を进むことを决めた上地は、2年后の2014年にはシングルス、ダブルスとも世界ランキング1位になる快挙を成し遂げ、谁もが认めるトッププレーヤーとなった。さらに2年后には金メダル候补としてリオデジャネイロ2016パラリンピックの舞台に立ち、シングルスで铜メダルを获得した。同种目においては、日本人选手として初めて手にしたメダルだった。

强みは、さまざまな相手に対応できる「引き出しの多さ」

プレーヤーとしての上地の强みは、その万能性にある。大柄な体格を活かしたパワーを武器とする欧米选手が世界ランキングの上位を占める中で、143肠尘しかない上地の存在感は极めて异质だ。

テニスコート内をすばやく車いすで移動する上地结衣选手

「身体が大きい海外选手の多くは、强烈なサーブやフォアハンドという武器を持っています。身体が小さい私は、1つの武器ではなく、いろいろなことができないと戦えない。だからすべてのプレーをしっかりできるように练习を积んできましたし、対戦相手に合わせて开ける引き出しは他の选手よりも多いと思います。どんな选手が相手でも、効果的な戦い方を选択できる。それが私の强みかもしれません」

8月26日発表の世界ランキングは3位。2位はリオデジャネイロ2016パラリンピック準决胜で上地を破ったアニク?ファンクート。圧倒的な强さで1位の座に君临するのは、同3位决定戦で上地に败れたディーデ?デフロートだ。この2年、ビッグタイトルをほぼ総ナメにして絶対女王に君临する彼女は、上地にとって最大のライバルだ。

「あと1年。そんなに时间はないけれど、焦る気持ちはありません。私は、2016年の世界国别选手権で初めて有明コロシアムのコートに立ちました。あの时は満员ではなかったけれど、応援してくださった皆さんからの大きな后押しを感じられる场所でした。その声援がパラリンピック本番でもっと大きなものになるかもしれないと思うと、やっぱり楽しみですよね」

「楽しい!」という気持ちがあるから続けてこられた

昨年末の12月25日には、日本コカ&#虫蹿蹿65;コーラとのパートナーシップ契约を结んだ。契约合意が発表されたその日、上地は日本コカ&#虫蹿蹿65;コーラ社员とその家族が参加するクリスマスイベントに登坛し、パラリンピックに対する思いの丈を口にした。

「社员さんのご家族が参加するイベントって、なかなかないですよね。本当にアットホームで、家族のような団结力を感じましたし、そういう雰囲気がすごく素敌だなと思いました。オリンピック?パラリンピックといえば、やっぱりコカ&#虫蹿蹿65;コーラ社。きっと皆さんがそういう强い思いを持っているんだろうと感じましたし、私の话を楽しみながら闻いてくださっていることが伝わってきて、すごくうれしかったです」

ジェスチャーをしながら話す上地结衣选手

女子车いすテニスの第一人者として、人前に立ってその魅力を語る機会も多い。そのたびに感じるのは、“初めて”に触れることのワクワク感だ。

「私自身のことや竞技そのものを知らない人もたくさんいる中で、例えば、私がプレーする姿を见て『すごいな』とか『おもしろいな』と感じてもらえるかもしれない。それがすごくうれしくて。新しく何かを知る瞬间のワクワクする感情って、すごく特别ですよね。私自身、そういう瞬间がすごく好きだからこそ、自分のテニスを见てもらうことで、谁かにそれを感じてもらえるならすごいことじゃないかなと思います」

1年後の「TOKYO 2020」では、自分の思いどおりのプレーをして、その結果として金メダルを手にしたい。しかしそれよりもまず、楽しみながらチャレンジする自分の姿を、1人でも多くの人に見てもらいたい。

「私、すごく楽しいんです。海外に行って、海外の人たちと接しながら、ツアーを転戦する今の生活がすごく楽しい。そういう気持ちが根本にあるからこそ、胜っても负けても、ずっとテニスを続けてこられた気がします。どんなに苦しい状况でも、テニスをめいっぱい楽しみたい。それが私の仕事だと思うし、楽しんでいる私を见て『私もやってみたい&#虫蹿蹿01;』と思う人が1人でもいたら本当にうれしい。やっぱり、スポーツって、どんな人がやっても楽しめるものですから」

1年後、「TOKYO 2020」を誰よりも楽しんでいるのは、上地結衣かもしれない。

両手を挙げてポーズする上地结衣选手

かみじ?ゆい / 1994年4月24日生まれ。兵庫県出身。11歳で車いすテニスを始め、高校3年生でロンドン2012パラリンピックに出場。シングルス、ダブルスともにベスト8に進出する。2014年、全仏オープン、全米オープンで初優勝。同年5月に初めて世界ランキング1位を記録した。ダブルスでは日本人女子選手初となる年間グランドスラムを達成し、「女子车いすテニス最年少年間グランドスラム」のギネス記録に認定される。2度目のパラリンピック出場となったリオデジャネイロ2016パラリンピックでは、シングルスで銅メダルを獲得。東京2020パラリンピックでの2大会連続メダル獲得に大きな期待がかかる。